2008年7月18日金曜日
野茂英雄
不屈のドクターK 野茂引退 渡り歩いた7球団 “直球とフォーク”貫く http://www.chunichi.co.jp/article/sports/news/CK2008071802000059.html 【ニューヨーク=共同】大きく腰をひねる独特のトルネード投法で一世を風靡(ふうび)した野茂英雄投手(39)が17日、現役引退を決意した。 1990年に近鉄に入団。94年オフに近鉄との契約がこじれ、95年に米大リーグ、ドジャースに移籍。1年目から13勝6敗の成績を残し、2005年までのメジャー11年間で通算123勝を挙げた。 今年は前日本ハム監督のヒルマン氏が指揮を執るロイヤルズでメジャー昇格。05年7月以来の登板を果たしたが、3試合で計4回1/3を投げ、10安打9失点3奪三振で防御率は18・69だった。 表情を変えることなく、マウンドで持てる力をすべて出し切る。野茂はこのスタイルを最後まで貫き通した。 「トルネード投法」で鮮烈なメジャーデビューを飾ったのは1995年。目いっぱい体をひねり、直球とフォークボールを投げ込む。この2つの球種で打者を翻弄(ほんろう)し、三振の山を築き、旋風を巻き起こした。選手会のストライキでファン離れが起きた中、野茂は大リーグの「救世主」と言われた。 移籍を何度も繰り返し、その都度、はい上がってきた。一昨年に右ひじを手術。昨年はベネズエラのウインターリーグにも参加した。 今年2月下旬。米アリゾナ州のロイヤルズのキャンプ地に、日本人の姿が多く目につくようになった。異国の地で挑戦を続ける野茂の姿を一目見ようと、駆けつけたファンだ。ある年配の男性は「年も立場も違うけど、頑張っている姿に励まされる」と語った。 4月5日にメジャーに昇格。だが、8月で40歳となる野茂はかつての球威を取り戻すことはなかった。同18日のアスレチックス戦。3ランを浴びた野茂はクラブハウスのいすに座り、バスタオルを頭からかぶってうなだれた。その後、ヒルマン監督(前日本ハム監督)から戦力外通告された。 華々しい実績を残した。しかし、何よりもメジャー移籍のパイオニアとして、その名が残る。野茂が海を渡らなかったら、これほど多くの日本選手が大リーグに挑戦できたとは到底思えない。 (共同) ◆野茂の一問一答 −決断に至った経緯は。 中途半端にしていてもしょうがないし、けじめをつけないといけない。ファンにも報告しないといけない。どこも取ってくれる球団はないと思う。 −未練はないか。 自分の中ではやりたいが、プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う。 −4月に大リーグ復帰を果たしある程度納得したのか。 そんなことは全然ない。引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った。 (共同) 【野茂英雄(のも・ひでお)】 大阪・成城工高、新日鉄堺を経て90年にドラフト1位で近鉄入り。1年目に18勝でMVP、新人王、沢村賞。95年ドジャースに入団。日本人2人目の大リーガーとなり、オールスター戦に先発、新人王に輝いた。96、01年に無安打無得点試合を達成し、05年に日米通算200勝。日本で通算78勝46敗、大リーグでは計7球団に所属し通算123勝109敗。188センチ、100キロ。右投げ右打ち。大阪府出身。39歳。 (共同) 「悔いが残る」と言ってしまうのが野茂らしい。 もっと野球をやりたくても、野球を愛するがゆえに自分にしか分からない引き際があるのだろうね。 メジャー挑戦のパイオニアでもあったし、 豪快なフォームと三振の山で球場にお客さんを呼べるピッチャーでもあった。 体をひねるトルネードと、どうしても制球に難があり増えてしまう球数、 むしろ40歳間近まで現役を続けられたと言うべきかも。 とにかく偉大な野球人でした。 今後はチームオーナーとして活躍してくれることでしょう。 http://www.nomo-baseball.jp/