2008年7月4日金曜日

クルサード先生、今年限りで引退

8b54ad69.jpg引退の噂は根強かったけど、今年表彰台も取ったし、今年は10レース以上残ってるし、 強烈な残留能力で持って来年の契約をもぎ取ってくるかと思ってたけど、 先生自身が潮時だと感じたのか、潔い引退表明。 そして我々ファンには、富士に行くか否かの難しい判断を迫ることとなった。 (まろやかに金曜オフとか話が出てますが) 09の鈴鹿までなんとか走って欲しかった。 http://jp.f1-live.com/f1/jp/headlines/news/detail/080703164255.shtml ここ数日、予想されていた通り、デビッド・クルサード(レッドブル)は3日(木)、今シーズン末をもって、その長いF1キャリアに幕を閉じることを決断したと発表した。 シルバーストーンでDC(クルサードの愛称)が公表した声明は以下の通り。 「今日、僕は今シーズン末をもってF1のレースから引退する決断を下したことを発表する。今後もレッドブル・レーシングの相談役として、マシンのテストと開発面でこのスポーツにかかわっていくつもりだ」 「将来、他のモータースポーツを含め、再び戦いの舞台に乗るかどうかについては広い心を持っているので、間違いなくこれでヘルメットを脱ぐというわけじゃないんだ!」 「引退するという僕の決断は辞めたいという思いに基づいて今年序盤に決めたことだけど、その一方でまだ競争力はあると思うし、グランプリでドライブするという巨大なチャレンジを楽しんでもいる。それに、このスポーツで新たな挑戦を探したいという願望もある」 「イギリスGPでこの決断を発表するにいたった経緯は皆に理解してもらえると思うけど、僕が挙げた13勝のうち2勝はシルバーストーンでの優勝で、このグランプリを主催しているブリティッシュ・レーシング・ドライバーズ・クラブ(BRDC)のメンバーでもあるからだ」 「レッドブル・レーシングでの自分の仕事を誇りに思っているし、ブラジルでの最後の1周まではこれまでと同じようにレースに集中する。その後はチームが常勝チームになるという目標を達成できるよう、チームを支えていくつもりさ」 「多くの人々がこれまでの僕のキャリアを支えてきてくれた。その中の一部を書いてみようと思う」 ◆ 僕のキャリアを通してずっと応援し、励まし続けてくれた両親 ◆ カート時代を通して僕を導いてくれたデーブ・ボイス ◆ マシンのセットアップのやり方やレースの仕方を教えてくれたデビッド・レスリーSr.とデビッド・レスリーJr. ◆ “才能の道しるべ”を示してくれたジャッキー・スチュワート卿とポール・スチュワート ◆ テストドライバーからレースドライバーへと昇格させてくれ、初めてのグランプリ優勝に導いてくれたフランク・ウィリアムズ卿およびウィリアムズ・ルノー ◆ 主だった成功を達成し、9シーズンを共に過ごしたロン・デニスとマクラーレン ◆ 徹底してレーサーであることを教えてくれたノルベルト・ハウグとメルセデス ◆ 新チームの成長に貢献し、レースの継続とさらなる表彰台を獲得するチャンスを与えてくれたディートリッヒ・マテシッツとレッドブル・レーシング ◆ ヘルムート・マルコとの協力の下、オープンでプロフェッショナルなマネジメントスタイルを採るクリスチャン・ホーナー ◆ 僕たちの成長とプロと呼ばれるようになるための強力なプラットフォームを提供してくれるバーニー・エクレストン。この先何年も、僕の将来の家族はF1での財政的な成功において彼に感謝し続けることだろう。 ◆ 有益な意見をもたらしてくれるアネット・ハチンソンとイアン・カニングハムと協力するマーティン・ブランドルとデビッド・コーソンという僕のマネジメントチーム ◆ 3チームに属してきたけど、デザイナーはただ1人。だから、エイドリアン・ニューイには僕が経験したシャンパンファイトのすべてにおいて、特別感謝している。 ◆ それから、大事なことを言い忘れていたけど、僕がこれまで共に働いてきた、すべてのメディア、オフィシャル、マーシャル、メディカルサポート、メカニック、エンジニア、スポンサー、弁護士、会計士、裏方スタッフ。 クルサードがF1キャリアをスタートさせたのは1994年。アイルトン・セナの死によって空いたウィリアムズのシートに座ったのが最初だ。 その後、9年間を過ごしたマクラーレンでは2度の元世界チャンピオンのミカ・ハッキネンをチームメイトに、F1史上最長となるコンビ歴を達成した。 レッドブルでは2006年モナコGPでチーム初の表彰台に上るという快挙を成し遂げ、その表彰式でスーパーマンのマントを羽織ったことは有名である。 ホーナー 親友のクルサードを語る デビッド・クルサードの引退表明を受けて、レッドブルレーシングのチーム代表であるクリスチャン・ホーナーは、チームが彼の協力を引き続き得られることを嬉しく思うが、F1の歴史の一つがこれで消えてしまうことになると語った。 「デビッドと仕事をするのは限りなく大きな喜びであり、彼はこれまで4シーズンにわたってチームに多大な貢献をしてくれた」とホーナーは語った。「彼は実にプロフェッショナルで、チームに対して非常に献身的で、深く関わってくれたその姿勢も、彼がF1キャリアを長く続けることができた重要な理由のひとつだと思う。彼は真のチームプレーヤーであり、それは彼がほかにたった2つのチームにしか在籍してこなかったという事実にも裏付けられている」 「彼はこれまでに13勝をあげており、後少しで優勝というレースや、他のドライバーに勝利をプレゼントしたレースもたくさんあったね! 彼は我がチームの最初のポイント、最初の表彰台を獲得したドライバーであり、またレースでトップを走行した最初のドライバーでもある。そして何よりも、彼は紳士であり、私にとっては親友でもあった」 「チーム内では、みんながデビッドを非常に尊敬していた。彼がF1に在籍していた間に起こったF1の変かを考えれば、彼が引退するということは、グランプリドライバーとしての彼のキャリアが終わるだけでなく、F1の歴史のひとつの章が終わることを意味する。これから彼は、新シチャレンジに向かうことになるんだ」 「レッドブルレーシングはこれからも彼の協力を受ける。彼は問いにテストでクルマをドライブし、その経験と知識を我々のために役立ててくれることになっている。彼はコンサルタントとしてチームや技術陣に関わり、我々は彼のF1での素晴らしい経験を最大限に活用していくつもりだ。彼が暇になることなんてないと思うね!」 ■デビッド・クルサード先生のサヨナラ確変道場 48段目■ http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/f1/1215098463/l50 一応まるかーレン、もといマクラーレンというトップチームにいたのに、 常にセカンド精神を忘れず、 毎年期待通りの活躍で我々にほのかな 笑いをふりまいてくれる、キャラも味も走りも美味しくまろやかな英国紳士。 セカンドさせたらNo.1、ベッドテクもNo.1、 3位表彰回数は歴代2位。 2005年からレッドブルに飛ばされ、いよいよ湯きり失敗かと諦めムードが漂うも その年には24ポイント獲得、2006年にはモナコで3位表彰台に立ち、 2007年にはドライバーズランキングで10位に食い込むなど、 ファンの期待を裏切らないチームリーダーは、ジェット燃料と漏れたちの ために走り続ける。  顎なんか比べものにならないほど空気を読んでくれるエラで、話のネタを 提供してくれる僕らのヒーロー食パンマン。 某カップやきそばの如く庶民に 愛されている我らがクルサード先生なのだが、ここは一つさらなる愛と哀と 自虐心をもってお湯を注ぎつつ応援してみるのもいいんじゃない?もちろん かやくは取り忘れ。飛行機事故からも生き延びたその残留能力の高さで 何とか赤牛に拾われたが、下位で燻っている先生じゃあない。 ソースさえかかればボーナス次第でポイントを取ってみせるベテランスコティッシュ。 まろやか道場聴講生と2つのチームを育て、確変を続ける、あいつはまろやか先生クルサード! ほのかでまろやかな香りを伴った笑いを、少しでも長く我々に提供して くれる事を切に願う。  尚、このスレはネタスレではありません。大変まじめに■をスポンサード中。 先生、13勝の軌跡 95年 ポルトガル 97年 オーストラリア    イタリア 98年 サンマリノ 99年 イギリス    ベルギー 00年 イギリス    モナコ    フランス 01年 ブラジル    オーストリア 02年 モナコ 03年 オーストラリア Black design http://www.blackdesign.jp/